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→  5月 12, 2009 0

。 その日は、充実した打ち合わせだった。 「小雨がふるかも」的な天気予報を いち早く俊敏にキャッチし、 250円のビニ傘を手に、出向いた打ち合わせ。 ジャンプタイプだった。 打ち合わせ後、颯爽とエレベーターに乗り、その会社を出る。 打ち合わせ相手が全員、完全に消え去ったことを確認する。 無事、250円のビニ傘を取りに戻る。 ジャンプタイプやからな。 ぬかりなど、あるはずがない。 デキる社会人。 東京砂漠も悪くはない。 その日は打ち合わせの後に、東京藝大での授業があった。 社会人向けの、演劇の授業。 授業を受けるまで、演劇は1回しか観たことがなかった。 約1年の授業が終わった後、依然として1回しか観たことはない。 その日は東京へ、 自宅兼事務所である茅ヶ崎から 車で来ていた。 打ち合わせ後、演劇の授業へ出るため、 その車を駐車場に取りに行った。 打ち合わせ場所から、 徒歩約5分。 授業が始まる時間から逆算すると、 ちょーーーどよい時刻。 駐車場の料金を払おうと、 「精算」ボタンを押す。 1800円。 結構かかるんやな。 東京砂漠。 財布を見たところ、1万円札しかない。 機械には「1000円札しか入りません」と 記載されている。 たぶん、、 昭和初期に作られたのだろう。。。 せめて近くに両替用のコンビニくらい設立してくれや。 つづく。

→  2月 12, 2009 0

東京大学。 いい響きである。 俺の先輩に、東京大学出身の人がいる。 最近、一緒に仕事をした人にも、いる。 俺は、「アンチ学歴/職歴」である。 おそらく。 ま、そうならざるを得なかったのである。 出身中学は廃校やし。 [大阪府枚方市立村野中学] そのせいなのか、 多分まわりには、そこそこの「アホ」だと思われている。 ちゃうねん! 「俺は右脳が発達しているから、他人に伝わらへんだけやねん!」 と言ったところで、 火に油である。 だから今日はイヤらしくも、 「アンチ学歴」の数少ない客観情報から 俺は昔はアホではなかったことを証明してみよう。 【1】小学生時代 正直、かなり頭がよかった。勉強ができた。 日能研の模試で九州3位になったことがある。 (これが唯一の客観情報) もしかすると、日能研の模試を受けていた人数は、 6人くらいだったのかもしれない。 【2】中学生時代 多分、ずっと学年で2位やった。 定期テストなんて、勉強しなくても点が取れた。 ただし、岡村っていう異常に頭のよいやつがいて、 そいつに常に平均点5点以上の差をつけられていた。 でも、そいつはめっちゃ眼が細かった。 京都大学からパナソニックの研究職となったらしい。 【3】高校受験 私立の併願で[関西創価]を受けた。 受験生は、内部生(=創価中学のやつ)か創価学会のやつばっかやった。 ※もちろん、おれは創価学会とは全く縁がない。 受かった。 偏差値は69らしい。 かつ併願合格やし。もっと偏差値高いんちゃう? なかなかよい、客観情報だ。 ちなみに公立は、四条畷か寝屋川を薦められていたが、 [香里丘高校]にした。 めっちゃ仲のよかった友達が、その高校に行くからだった。 学歴なんか、関係ないって思っていた。 【4】大学 高校から大学にかけては、本当に勉強ってことをしなかった。 遊ばなければ損、だと思っていた。 家から近く、なんだか就職がよいっていう噂があったので [神戸芸術工科大学] に決めた。 推薦で決まった。 色鉛筆で絵を描いただけだった。 偏差値なんて、あってないようなモンやけど、 やっぱかなり低い。 【5】新卒就活 俺の時代は就職氷河期だったという [...]

→  4月 21, 2008 0

1つのことをくどく何回も言います。 おれ、新人賞を受賞しました。 人展というやつ公募展で。 受賞の後、母から手紙をもらいました。 「がんばって子育てをしていたことを誇りに思わせてくれて、ありがとう」と。 もちろん、俺は絵を描くことが好きだ。 小さい頃から好きだった。 でも、それだけが理由ではない。 今、絵を描いていることの。 うちの大視が言っていた。 「芸大や美大に行く子は、子供のころに落書きをしても 怒られなかった子たちである」と。 俺は物心ついた時から、仮面ライダーなどを 描きまくっていた。 もちろん、怒られなかった。 怒られなかったどころか、俺の絵が好きなことを 見かねた母に、幼稚園入園前から、 美術館に連れていかれていた。 小学校入学後は、母がわざわざ 小学校の先生に頭を下げて、 俺に絵画を習わせた。 毎週日曜には、父が車で絵画教室まで 送り迎えをしてくれた。 絵画教室と言っても、実は書道教室であり、 その書道の先生が、俺にだけ「絵画」を教えてくれていたのだ。 書道を習いに来ていた子たちは、 不思議そうな眼で、俺を見ていた。 人見知りだった俺は、まったく話しかけることはなかった。 でも、絵を描ける、絵がうまくなる楽しみがあったので、 そんなことはまったく苦にはならなかった。 小学校の夏休み明け、 おれは毎回、必ず表彰をされていた。 子供の絵画コンクールで、いつも入賞をしていたから。 そんな俺だったが、中学入学後は強がったり、悪ぶったりして どんどんと絵を描くことから離れていった。 そう。 俺は絵画については、まれに見る「英才教育」を受けてきた。 ただし俺は、その英才教育をまったく生かすことなく 現在に至っていた。 2年ほど前、ふと母が言った。 「今度、絵を描いてプレゼントしてや。」 俺は絵を描ける自信はなくなっていた。 そんなとき、会社の大視が習い事について、 迷っていた。「Web系のスクールに行くか、絵画に行くか」 俺は大視に便乗して、おれも習いにいくことに決めた。 普通、美大を出ている人間は、デッサンができる。 でも俺は、できなかった。 俺の学科の入試は、デッサンはなく、色鉛筆と色彩構成だけだったから。 基礎から始めた。 1年くらい経って、初めてデッサンではなく、着色も含めた絵を描いた。 その絵は今、俺の神戸の実家の玄関に飾られている。 母へプレゼントしたのだ。 なぜ母が、おれに「絵を描いてくれ」と、突然言ったのか? 俺は色々と考えた。 結果、俺は俺が持つすぐれた能力を、最大限に世に出していくことに決めた。 [...]

→  12月 12, 2006 0

ひさびさの投稿

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