やりとげる力/ スティーブン・プレスフィールド書籍のまとめ

2月 4th, 2013 @ 梶原 信次


やりとげる力/ スティーブン・プレスフィールド書籍のまとめ

↑ 石膏の鉛筆デッサン:約12時間 ※本書籍とは関係がありません。


筆者は、ロサンゼルス在住の作家であり脚本家である。ベストセラー作家としての地位を確立するまでの、苦悩と挫折の長い道のりの経験を含めて、本書に記されている。

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クリエイター・アーティストにとって「作品に着手する勇気。
そして着手後も、周囲からの評価を得られなくてもやり抜く力」
というのは、非常に大切だが、実際は想像以上に難しいことだと思っている。

周囲から、自分が想像している程の評価を得ることなんて、ほんの僅かな場合のみだ。
そんな壁に負けずに、表現やもの作りが好きな人は、とことんやり抜いて、
最終的に素晴らしい作品をこの世に生み出す。生み続けることをやってもらいたい。

自分や、自分以外の表現・もの作りを続けて行きたい人たちにとって、
とても良書だったため、要約を記載します。
※一部、キリスト教的な世界観は理解しづらい箇所もありましたが、ある程度共感はできました。

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筆者は、創造性最大の敵を「レジスタンス」と称している。それをそのまま各所で引用しよう。

レジスタンスとは、ものごとを始めようという気持ちの障害となるすべての要素を指す言葉。
フロイトが語った「Death Wish=死の望み」と同じだ。
人間に内在する、意識的または無意識的に他人や自分の死を願う気持ちを意味する。

大変なのは、書くことそのものではない。
書くために机の前に座ることが大変なのだ。

■レジスタンスの影響を最も受けやすい行動のリスト

1、文章を書く、絵を描くなど創造性を必要とするあらゆる芸術的な行動や活動。
2、あらゆる種類の起業精神、あるいはベンチャー企業を起こそうという気持ち。
3、ありとあらゆる政治的、道義的、人道的行動を起こす勇気。私たち自身に内在する、無価値な思考や行いを正そうとする決心も含む。
4、逆境と戦いながら、毅然とした態度をとり続けること。

レジスタンスは執念深く、強情で、疲れを知らない。最後の細胞ひとつまで叩きのめしても、まだ攻撃の手を緩めない。
レジスタンスは、攻撃することしか知らない。
戦いを挑むなら、自分かレジスタンスのどちらかが息絶えるまでたたき続けなければならない。
恐れの感情を克服しなければ、レジスタンスを克服することはできない。

レジスタンスが止めようとするのは、下から上への流れ(向上)だけである。
ゴールラインが視界に入ったとき、それが最も危険な場面。
レジスタンスは最後の一撃に持てる力のすべてを込めて抗ってくる。

■■第一部:敵を知る■■

■レジスタンスとは?
ぐずぐずした態度、それはレジスタンスの典型的な形。
作曲はするけど、明日から始めよう、そういう態度だ。
ぐずぐずした態度が致命的なのは、習慣化するからだ。
レジスタンスは時としてセックスやセックスに纏わることという形で現れる。
セックスだけでなく、ドラッグや買い物、マスターベーション、テレビ、噂話、アルコール、糖分・塩分を含んだ食品も
レジスタンスによる誘惑が具体化したものである。

神経症、常習的遅刻、近隣トラブルなど不自然な手法で注意を引こうとするのはすべて、レジスタンスが形になったものだ。
仕事を第一に考えて生きている人間は、それらトラブルはすぐに解決し、芽を摘み取る。
うつと不安神経症は、本当の病気かもしれない。しかし、これさえもレジスタンスになり得る。
医師の見解によると、取り扱う症例の70-80%は、身体的健康状態とは無関係であるという。本当に病気の人はそう多くない。
自分を被害者だと思う気持ちは、すべて活動的な意思と正反対に位置する。今すぐに正すべきだ。

レジスタンスに囚われると、愛を感じられず、自分を愛に値しない人間なのではないかと思い込む。
何事にも嫌気がさし、自分自身という存在に辟易する。
プロのアーティスト、クリエイターは、自分の中で湧き上がる革命を自分なりの形で表現するのが務めだ。
我々が、一部の既得権者層による消費文化の圧制から逃れることができるのは、
そのような創作活動によるものだけだ。
創作活動によって、一方的に刷り込まれたプログラムに打ち勝つことができる。

他人を批判する気持ちは、レジスタンスから生まれるものかもしれない。
自らの人生で自己実現している人は、他人を批判しない。
ある仕事を行うのに感じる恐れが強ければ強いほど、それがなされるべき仕事であると確信できる。
プロのクリエイターやアーティストは常に多くの恐れと対面している。
プロとは自分を伸ばしてくれるこうした仕事を選び、苦労して成し遂げる。
未知の領域に踏み込み、自分でも気づかない自分の一部と対峙できるように、自分を追い込んでいく。

レジスタンスとは愛に正比例する。
レジスタンスを感じれば感じるほど、いまだに実現できていないことの大切さが浮き彫りになる。
それを始めることができた時の喜びは、レジスタンスの強さ、多さに比例して大きくなる。
我々は時として、孤独を恐れるあまり、新しいことを始めるのをためらってしまう。
プロは仕事のみに意識を集中させ、それ以外に関しては、ものごとの流れに任せる。

作家である私(書籍の筆者)は、時々友人から訪ねられる。「1日中一人っきりで座っていて、寂しくないか?」と。
私は寂しくなどない。私は自分が書いた本の中で、登場人物と一緒にいる。自分の本質と共にいるのだ。
登場人物は、実際の生活でわたうぃそ取り巻く人々よりもはるかに生き生きとしていて、はるかに面白い。
彼らはわれわれそのものだからだ。より下品に、より賢く、よりセクシーになった我々自身だ。

なすべきことに取り掛かる前に「まず癒しを行うことが必要だ」という意見がある。
これもレジスタンスがとる形態の一つだ。
プロのアスリートは、身体のどこにも痛みを感じない朝などあり得ないことを知っている。
痛みを抱えたままプレイすることなど当たり前なのだ。
癒しを必要とするのは、創造性を発揮する部分ではない。創造性を発揮する部分は、はるかに深く、強い。
そして、自分という独立した存在の核を見つけ出すこと以上の癒しがあるだろうか?

ワークショップというものは、私に言わせるとこれほど下らないものはない。もっと嫌いなものは「支え」という言葉だ。
愛する者、信頼する同僚に支えられればそれだけ弱くなり、自分で仕事をこなす力が失われてしまう。
正当化というのは、もっともらしい理屈を並べ立て、私たちをなすべきことから遠ざけようとする。
レジスタンスによる言い訳は真実であることが多い。妻が妊娠8か月であることが本当だった場合、
夫にはできるだけ家に居てほしいかもしれない。それは、仕事を中途半端で止めるもっともらしい言い訳だ。
トルストイには13人の子供がいたが、それでも「戦争と平和」を書き上げた。

■■第2部:プロになる■■

アマチュアは楽しさを追い求めるが、プロフェッショナルは真剣勝負をする。
レジスタンスは、私たちがプロになることを嫌う。
「書くのは、インスピレーションが閃いた時だけです」モームは答えた。
「そして幸いにも、ひらめきは毎朝9時ぷったりに訪れてくれます」
モームは「仕事をする態勢を整えれば女神がやってきて、閃きをもたらしてくれる」と言う。
プロであるとは、こういうことだ。

クリエイターやアーティストは、海兵隊員と同じだ。
悲惨な状況にどう対処するかを知らなければならない。
海兵隊は、冷え切った食べ物をかき込み、不十分な装備で満足し、兵士の中で死傷率が一番高いという事実も受け入れる。
誇りを持ってその惨めさを味わうのだ。ヤワな奴らは悲惨という言葉の本当の意味を知らない。
天職にその身を捧げたすべてのアーティストは、意識していようとなかろうと、自ら進んで地獄への道に歩み出たのだ。
孤独と拒絶、自己喪失、失意、嘲笑、軽蔑、恥辱が常につきまとう。
仕事とは戦争なのだ。地獄でもある。

42歳、離婚歴あり、子供なし。普通の人々が普通にするであろうことをすべて諦め、脚本家になるという夢を追い続けてきた。
初めて脚本を行った映画は、手厳しい商業成績と周囲の辛辣な評価を得た。
私は、本物の脚本家になれなかった、と思い込み、落ち込んだ。
友人の「なりたい自分になれたんだ。そうだろう?厳しいことも、ひとつやふたつあるに決まってる。
カヤの外にいた人間が活躍の舞台に上がるための代償だ。文句を言わず、今の自分の姿に満足することだ」と言った。
私がプロであることを自覚したのは、まさにこの瞬間だった。

プロは仕事を愛さなければならない。
作家は歩兵に似ている。進歩の尺度は、自らの血と引き換えに得られる敵陣の広さで表される。
芸術の女神ミューズは必死に働く者の味方をする。キレイに着飾って目立ち、よいところばかりを持っていく人間は大嫌いだ。
自分を傭兵、あるいは雇われガンマンだと思えば、しかるべき謙虚さが身に付き、傲慢さや気取りはなくなる。
プロの最大の武器は忍耐だ。ブレイクするのを待つことだけに必要なものではない。
小説だろうがキッチンの模様替えだろうが、仕上げるまでに思ったよりも2倍の時間と手間がかかることを知っている。
このことを受け止め、現実として認識できるのがプロのアーティストなのだ。

プロは、自分の仕事を芸術ではなく、単なる作品としてとらえる。
芸術が神秘的で神聖なるものとわかっているが、それについて考えすぎると、身動きが取れなくなるとわかっているからだ。
技術に意識を集中させる。プロとは、テクニックを熟知しながらも、ものを作り出す理由や目的を神々にゆだねる人々だ。
アマチュアは目に見えないものの領域を必要以上に崇め、神秘的な力に気を取られてしまう。
プロはテクニックの取得に努める。ひらめきが訪れたときに、持てるすべてのテクニックを駆使できるようにするためだ。

プロは、恐れの感情を完全に克服するなど不可能であることを知っている。
プロは言い訳を受け入れない。今日レジスタンスに屈服してしまえば、明日は更に2倍屈服しやすくなる。
プロはレジスタンスからの電話の受話器すら取ることをせず、仕事を続ける。
プロはいかなる状況でも仕事をこなす。プロはわきまえていることだが、何も起きない場所は天国しかないのだ。
プロが目指すのは、自分自身を、そして自分の内面をできる限りしっかりと守ることだ。

プロは助けを求めることを躊躇しない。
タイガーウッズは世界最高峰のゴルファーだ。タイガーはもっとも豊富な知識を持った師を探し出し、
その教えを聞き逃さないよう全神経を集中させた。

プロは自分自身(自らの道具)と少し距離を置く。
仕事のための道具として使う部分と、自分自身を混同しない。
道具は神によって与えられたものであり、仕事だけに使われるべきものだからだ。

プロは厚顔だ。個人の自我よりも、プロとしての態度を優先させているという意味でだ。
これを実践するのは容易なことではない。
プロはたとえ拒否されても、それを自分個人に対するものとして受け止めたりはしない。
そんなことをすれば、レジスタンスが強まるだけだ。

プロは自分の仕事を心から愛し、持てるすべてを誠心誠意捧げる。しかし、仕事が自分自身でないことも忘れない。
プロは恥辱を自分だけに向けられたものと感じることはない。
拒否や批評と同じく、恥辱は自分の内側にあるレジスタンスが外部に映し出されたものでしかない。
プロは逆境に耐える。

アマチュアは、他人の否定的な意見を聞いて、覇気を失ってしまう。
他人の評価を重く受け止め、自分自身や自分の仕事に対する信念より優先させてしまうのだ。
レジスタンスが何よりも好むパターンだ。
プロはい評価を無視する。耳を貸したりしない。批評家が無意識のうちにレジスタンスの代弁者になっていて、
狡賢く悪意に満ちていることを知っている。
プロは、批評家からでなく他のプロから認められる。

プロは自分の専門外の領域は、その道の専門家に任せる。
プロとしてこなせることはひとつだとわかっているからだ。
その道のプロに任せ、敬意を持って接する。

プロフェッショナルの神髄とは、仕事をしている間は、仕事とそれが求めるものに
意識を集中させ、他のものはすべて排除することにある。
プロは決して歩みを止めない。レジスタンスよりもしつこく、無慈悲なまでの態度でレジスタンスを打ち負かす。

■■第3部:さらなる高みへ■■

第一歩を踏み出すことには基本的真実が込められている。
毎日こつこつ仕事を続けていると、ある仕組みが動き出し、必然的にそして確実に天からの助けが与えられる。
身に見えない力が後押しをしてくれて、予期せぬ幸運が、力を貸してくれるのだ。
全身全霊を傾けて取り掛かってこそ、神の摂理もスムーズな形で流れ始めるのだ。
芸術の女神は努力の過程を決して見逃さず、それをよしとする。

「出来ること、あるいは夢見ていることは、今すぐ始められる。大胆さは才能、神秘の力、そして力を持っている。
今すぐ始めなさい。」
-W・H・マレー(スコットランド人登山家)

一日の仕事が終わると、私は家の近くにある丘を散歩する。小型のテープレコーダーを持っていく。
歩いている間に、心の表層部が空っぽになっていき、私の中にある別の部分が声を上げ始める。
思いついたことの一つ一つはたわいもないことだが、ここで思いついたアイデアを磨くと、作品の重要なきっかけとなる。
シャワーを浴びたり、あるいは働いている間にも訪れる。
こうした瞬間の向こう側には、我々よりも聡明な存在が関わっている。
忘れてしまったことも、きちんと思い出させてくれる。進むべき道筋から外れたときは、向きを変え、正しい方向へと導いてくれる。
今この瞬間にも、奇跡はすべての人の中で起き続けている。

われわれは「自我を破壊」して「自己に辿り着く」。

◎自己とは?
・自己は、聖なる場所と境界線を接している。神秘や虚空、無限の英知と意識の源泉を意味するものだ。
・夢は自己から生まれる。アイデアは自己から生まれる。瞑想のよりどころになるのも、自己の部分だ。
・自己は我々の内部の一番深いところにある。自己は嘘をつかない。自己は未来を語る。

◎自我とは?
・自我とは人間の精神に宿る、物質的な存在だけを信じる部分だ。
・現実世界でなされるべきことをなす、それが自我の役割。
 自我なしに1日を終えることはできない。しかし、現実だけが唯一の世界ではない。
・自我は進化を嫌う。今という瞬間を支配している自我は、何も変えたがらない。全てをそのまま保とうとする。
・自我は意識を高めることへの衝動を嫌う。覚醒すればするほど、我々が自我を必要とすることがなくなるからだ。

■自我は以下に挙げることを信じている。

1、死は現実である。
  自我は人間の存在が肉体のみによって定義されていると信じている。
2、時間と空間は現実である。
3、全ての人間は異なり、別々に存在している。
 お互いに相容れないと思っている。
4、最大の生の衝動は自己防衛である。
5、物質世界以外に世界は存在せず、物質世界をつかさどる法則がすべてである。

■自己は以下のようなことを信じている。

1、死は幻にすぎない
  肉体が滅びた後も魂は生き続ける
2、時間も空間も幻に過ぎない
  時間と空間は物質世界だけで機能するものにすぎず、物質世界以外の場所で人間は
  意思と同じ速さで動くことができ、同時にいくつもの世界に存在することができる
3、すべての存在は一つである
  私があなたを傷つけたとしたら、私自身も傷を受ける
4、至高の感情は愛である

レジスタンスは恐れを糧とする。
結果への恐れ。破産への恐れ。独力でなしとげようとする時に卑屈にならざるを得ないことに対する恐れ。
ギブアップした後で元いた場所に戻るため、卑屈にならざるを得ないことに対する恐れ。
自分の夢のために家族の夢を犠牲にすることへの恐れ。仲間を裏切ることへの恐れ。
未知の領域へ踏み込むことへの恐れ。
これ以上行ったら引き返せなくなる場所を通り過ぎる瞬間への恐れ。

心の奥に息づく、本当の自分の姿になれることに対する恐れ。
人間が対峙し得るものの中で、一番恐ろしいのはこれだ。
個人を縛り付けてきたグループ意識、あるいは部族意識から自分を押し出すことにつながるからだ。
我々人間は、殻を破った瞬間にみちの怪物となる。
理想を抱き続けているなら、それだけの価値があることを見せなければならない。
友人や家族も失い、頼りにする人もいないまま、たった一人になってしまう恐れ。

ただし、完全に孤独になるわけではない。無限に広がる、決して枯れることも使い果たすこともない英知や意識、
交わりとともにあることができる。
今まで視線を向けたこともなかった場所に、新しい友人を見つけることもできるのだ。真の意味での友だ。

我々人間は、無限の選択肢を持って生まれてきたわけではない。
それぞれに果たすべき役割があり、実現すべき天職があり、なるべき姿がある。
持たされた資質によって生きるのが人間なのだ。
自分とは何かを見極め、その姿でいることが大事なのだ。
絵を描くために生まれたのなら、その役割は画家になることだ。
子供を育てて養うために生まれたのなら、母親になるのが与えられた役割だ。

多くの人々が序列を基準に自分の存在を定義しているが、そのことに気づいていない。
但し、アーティストにとって、自分を序列で定義しようとするのは命取りだ。
序列において、アーティストの視線は上や下へ向けられる。その視線が捉えることができないのは、
自分の内面という、一番意識しなければならない場所だ。

自分を序列で定義してしまうことの危険は下記だ。

1、グループ内のすべての人間と激しい競争をする。
2、幸せや成功、達成感を序列の中の順位で評価する。
3、他社との接し方は、序列の中の順位を基準とする。
4、自らの行動を評価するのに、他社に与える影響を基準とする。

しかし、アーティストの努力や才能の絶対的な価値は、他人の意見によって決められるべきものではない。
ヴァン・ゴッホは、生きている間は1枚も絵を売ることができなかった。
芸術を生み出す上での労力は、すべての作品への愛から生まれたものであるべきだ。

ロバート・マッキーから学んだこと。
三流のアーティストは、見る相手(読み手など)を出し抜くことを考える。
市場が欲しているものは何かと問いかける。
読み手の前で本当の自分をさらけ出すことに死ぬほどの恐怖感を抱いている。
自分が本当に感じ、信じていること、自分が面白いと思っていることを文章にして綴るのが怖いのだ。
そんな文章を書いて、受け入れられなかったらどうすればいいのうか?
だからこそ市場が欲するものを予測し、それを提供しようと心を砕く。

如才のないやつが市場が好む文章を書いて大金を稼ぎ出すことも可能だ。
しかしこれは成功したように見えて、最終的には大きな敗北なのだ。
自分に宿る芸術の女神を売り渡してしまうからだ。
真実で満たされた最高の仕事生み出す自分のなかの最も優れた部分だ。
私が信じたのは自分が欲するものであり「うまく行く」と思ったものではなかった。
私は、自分が面白いと思えることに形にし、後はすべてを神の手に委ねた。

自分の領域で活動をするべき。
自分の縄張りでは、たとえ足が3本しかないコヨーテでも、無類の強さを発揮する。

自分の領域とは?

1、領域の中ではやる気を保つことができる
2、領域の中では外部からのインプットの必要がない
 領域とは、その内部でフィードバックが絶え間なく行われる閉じた回路のようなものだ。
 努力と愛情を注ぎ込むことで事足りる。我々が注いだものを吸収し、よきものに変えて与えてくれる。
3、領域は、自分自身によってのみ享受される
4、領域は、努力の末にもたらされる
5、縄張りは、与えたものをそのまま返してくる

創造するという行為は本質的に領域的なものだ。母になろうとする女性が子供を胎内に宿すのと同じように、
新たな命を生み出すのを手伝える人間はいないし、助けを必要とするものもいない。
身ごもった女性とアーティストは天界によって見守られる。自然の英知は、あらから肺への呼吸を切り替える
タイミングを知っている。
小さな爪が生え始める瞬間を、何億分の一秒という正確さで設定している。

アーティストも子供を身ごもっている女性も、いわば容器にすぎず、創作者ではない。
新しい命を自ら作り出す役割を担っているわけではない。ただ宿しているだけだ。
だからこそ、誕生は人を謙虚な気持ちにさせる。
アーティストは、世界を動かす不思議な力と力を合わせ、自分の肉体を通じて新しい命を生み出そうと模索する。

自分が志向するのは領域か、それとも序列か?
次のように自分に訊ねてみることだ。「不安なときに私は何をするだろう?」
次から次へと友達に電話をかけて声を聞き、愛されていることを確かめる人は、序列を行動の基準にしている。
アーノルド・シュワルツェネッガーなら、ジムに直行するだけだ。
体を動かすことで自分を取り戻せると知っているからだ。
彼の行動は領域を志向している。

我々は自分の仕事をそれ自体のためになすべきであり、それによってもたらされる富や注目や称賛のために
なすべきではない。
なすべきことをなし、それを神の手に委ねることだ。
我々が地上界に生まれたのは、無限の力の媒体として働き、我々を通じて、
いまだ存在していないが、これから存在するはずのものを生み出すためだ。
その創造的な仕事は、自己中心的なものでは決してない。
人の気を惹くための道具でもない。世界全体、すべての命に対しての贈り物だ。
なすべきことをせずにおこうとしてはいけない。

アーティストが生きる世界は物質世界ではなく、より高位の真実で占められた場所にある世界だ。
ここには時間も空間も存在せず、ここで生まれたアイデアが、時間と空間の概念によって縛られる物質世界で
実現されるようにと祈る意思があるだけだ。

アーティストは、こうした意思に奉仕する存在だ。
自分たちは、作品が現実となるために手助けをするに過ぎないことをわかっている。
あるものを一つの場所から、別の場所に運ぶだけなのだ。
アーティストは卓越した技術と奉仕の意思に満ちた、神と女神たちの僕に他ならない。