サブリミナル・インパクト -情動と潜在認知の現代

4月 26th, 2011 @ 梶原 信次


サブリミナル・インパクト -情動と潜在認知の現代

カリフォルニア工科大学生物学部教授の下條信輔氏による「サブリミナル・インパクト -情動と潜在認知の現代」を読んだ。
結論から言うと、

「潜在脳」「潜在記憶」などの考え方は、広告表現やコンテンツ案にも十分に生かせる考え方であり、
広告業界やコンテンツ制作にかかわる方必見であると言える。

※このブログは自分のための備忘録である。

要約、また抜粋情報は以下↓↓




■序章:心が先か身体が先か

「習うより慣れろ」と言われる意味は以下。

運動技能を学び、十分に習熟して、刺激に対する動きがスムーズに適応的になるに従って、小脳に活動が移行することがわかっている。
このように「考えなくてもできるようになる」状態に対応するのが「慣れる」ということ。

潜在記憶は、自覚でき報告できる顕在記憶に比べて、はるかに頑健で壊れにくい。
人間の記憶の大部分は、潜在的。

定位反応・・・ミミズのようなごく低次元の動物でも、光や重力、においや化学物質に対して、そちらに向かう、あるは避けようとする強い傾向性を示す。
感覚刺激に対して選択し行動する反応を、総称して「定位反応」と呼ぶ。

視線の定位反応は「好き」という感情や判断とだけ本質的に結びついている。

単純接触(経験)効果とは、単純に経験した回数が多いほど、好感度が機械的に上昇するという効果。

■第一章:「快」はどこから来るのか

「音楽」として括られるものの共通構造について。
ほとんどすべての文化圏で、オクターヴずつ離れた音が「同じ音」として知覚される事実。
ほぼすべての音階が1オクターブあたり7またはそれ以下の音(ピッチ)からなり、また世界中の音楽的なリズムが、二連符か三連符の組み合わせ。
こうも共通だとすると、そこには何らかの必然性、詳しく言えば生理学的、神経学的な必然性があったのではないか。

音楽と同様、言語もまた人類にのみ共通。
言語としての共通の特徴(文法、意味論、発話、語用法など)を備えている。
言語と音楽はリンクして成長したのではないか?
音楽もまた人類という種に特有の生物学的な能力ではないか。

意味内容を命題的に伝える機能が言葉、
情動的なコミュニケーションに特化して発生したのが音楽ではないか。
音楽は主により古い脳、特に情動脳=辺縁系の機能と深く関係している。

音楽は脳内のさまざまな神経回路を一気に活性化し、それはまた意味を処理する言語回路とも重なっている。

習熟するとは、状況や手がかりから実際の計算を行うのではなく、一気に直感的に解くこと。囲碁や将棋のプロにも似ている。
計算の効率化や馴れと同時に、他の有力なてがかりやルールを直感で使えるようになるのだ。

「マキャベリ的知性」
霊長類における社会的な知能。
協調したり、出し抜いたり、従ったり、叛逆したり、集団の状況に応じて柔軟に対処する知能、や感受性。
このような社会的知能がそうでない(たとえばモノを操作する)知能の基盤になっている。

「パブロフの犬」の実験は、報酬による学習。
ベルの音と肉片を対にしてくりかえし呈示してやると、やがてベルの音だけで犬は「肉片を連想して」よだれを垂らすようになる。
これは条件反射と呼ばれる学習の典型。本来報酬としての価値を持たない音が、学習によってその価値を獲得した。

現代人はみな、食べ物やお金のような外部からの報酬とは関係なく、感覚そのものの内にある快を楽しむ動物となった。
これを内部報酬と呼ぶ。
音楽そのものの内になる快にハマっていることが、それである。
より進化した動物ほど、内部的な報酬に反応している。

親近性と新奇性。記憶にかかわるこの2つの要因が、感覚の快を考える上での重要なヒント。

乳幼児に視覚刺激をくりかえし与えて選好注視を調べた結果、圧倒的多数が反復(親近性の増大)による馴化(選好の低下)と、
新奇刺激に対する脱馴化(選好の上昇)を報告している。
この世のあらゆるものは親近性と新奇性を併せ持っている。たがいが補うかたちでひとつの機能システムを形成している。

ダーウィンの指摘通り、雄鹿の大きすぎる角や、ライオンたてがみなどを指して「進化のランナウェイ(暴走)と呼ぶ場合もある。
つまり、進化はいったん方向を定めると急速に速度を上げ、極端な状態にまで発展する。

物理的な現実味とは関わりなく、ゲームなどのようにバーチャルであろうとも、脳内を活性化するものこそもっともリアルと神経科学では言われる。
情動脳、社会のうを含む神経系全体の活性化をめざすこのような大きな潮流を「ニューラル・ハイパー・リアリズム」と呼ぶ。

情動系、社会系をはじめ感覚系、記憶系、運動系など様々な脳内システムを一気に活性化するのが、感動の新定義である。

■第二章:刺激の過剰

現代人の生活が、昔の生活と一番違うのは何だろうか?
感覚刺激の過剰ではないか?

何かをしながら、ほかのことも同時に進める、という「ながら作業」が一般的になった。
過剰でない、控えめで一元的な刺激は自ずと淘汰される。これは、近年ますます拍車がかかっている。

刺激の過剰に対する馴化、順応が脳の潜在的なレベルで起こる。
脳が刺激を出す人工環境に合わせて、進化するということ。

■第三章:消費者は自由か

商品やサービスを乗り換えた顧客は「値段が安いから」と思っているが、実際その値段を知らない場合が75%。

つまり値段はほとんどの場合、本当の理由ではない。
本当の理由はもっと潜在的=無自覚な過程の中にある。
それを調べるために、潜在認知の心理学で開発された行動計測、生李啓作やfMRIなどの神経計測が役立つ。

なぜ広告は効果があるのだろうか?
第一に「論理のレベル」もっとも高次の認知的なレベル。説得のCMなどがこれにあたる。
ライバル商品とブラインド比較テストをして、その結果をグラフで示す、などの方法。
このような論理を広告効果の主眼に置きがち。だが、それは効果のごく限定された一部にすぎないということが、
広告心理学などですでにわかっている。
第2に意味ネットワークのレベル。これには顕在、潜在の両方がある。
CMのポジティブなイメージと商品やブランドの間に、連合のネットワークを形成し、
いざ商品を選ぼうとするときにそれが活性化されるように仕向ける。連想記憶を形成するのである。
社会心理学では古くから「ハロー(光背)効果」と呼ばれていた。
第3のレベルとして記憶そのものの効果がある。
ブランドそのものの親近性、知名度、なじみ深さなどのレベル。
単純にただくり返し感覚的に経験するだけで、その対象をますます好きになってしまう、という現象を利用する。
1つ目、2つ目と比較するともっと単純で潜在的なレベルで「刷り込み」を起こす効果。

あなたはコーラのCMだけをくり返し見せられたとする。
コーラのサインを見ると、のどが渇いて、飲んでみたくなる。
CMにはさしあたり、手がかり刺激(コーラのサイン)と選択行動(手にとって飲む行為)との間に結びつき(連合)を形成する、という効果がある。
これは「パブロフの犬」と似ている。
手がかり刺激に対して適切に反応すれば(より大きな)報酬が得られる。という典型的な道具的条件づけの事態。

CMによって形成された結びつきの影響で、ついコーラの方に手が伸びたとすると、PIT(ふたつの条件付けの間の転移)が起きた、と言える。
このような転移が起きているときに特異的に活動している脳内部位は被殻の一部でした。この部位は、皮質したの報酬(ドーパミン)系に関わることが知られている。
ネズミでのPITに関連して活動する場所と重なっていた。

大事なポイントはただ1つ。こういう動物とも共通の生物学的メカニズムが、CMなどの効果に寄与している。
それは潜在的であり、根強いし抵抗しにくいものである、ということ。
つまりCMはそういう意識下のメカニズムに直接働きかけている可能性があるのだ。

有名人がCMに頻繁に出てくる理由は、いかのようではないか?
有名人が珍しい、目新しいシチュエーションにいるような設定が多い。
それは、親近性と新奇性の問題、それらを組み合わせた応用問題なのではないか?
つまり、どの領域でなじみ深く、どの領域で目新しいのがもっとも魅力的なコンビネーションなのか、という点を考慮して作られているから。

結果、CMの親近性(なじみ深さ)も新奇性(目新しさ)もともに「因果的に」CMの魅力度、好感度に貢献していた。
おもしろいことに親近性の指標と新奇性指標との間には、論理的に考えられるような相互背反的な関係はなく、逆に正の相関もなかった。

顔の場合、繰り返すほどますます古い顔を好きになるという親近性の強い傾向がある。
他方、自然風景はまったく逆。数回で飽きがきて、新奇な方を好むようになる。
図形での結果はほぼ中間。

CMの効果は条件づけの「生物学的メカニズム」に加えて、記憶に作用し、記憶が選択に及ぼす力に訴える。
効果のすべてではないにしても、相当部分が潜在的である。
「潜在」とはいわゆる「サブリミナル」ではない。
CMを見たころは覚えているのだが、それが自分の選択、購買行動に影響を与えているという因果関係に気付かないという意味で、潜在的。

認知社会心理学で「原因帰属」という現象がある。
試験の例でいうと、失敗した原因をどこに帰するか?教授の出題場所の問題(外部原因)と、自分が怠けたこと(内部原因)の2通り。
それが正しい帰属か、誤った帰属かにかかわらず、帰属のゆくえによって違う感情や行動が起こる、ということ。
ひとたびどちらかを選択すると、それを自分で正当化しようとする動機が潜在的に働く。
次の機械には、そちらをより魅力的と漢字、そちらを選ぶ傾向が高まる。
チョイス・ジャスティフィケーション(選択の正当化)と呼ばれる。

ロイヤリティやブランドイメージの問題も、この選択の正当化という観点から見ると納得がいく。
ブランドイメージは高級感につながる。この高級感が商品の質の評価まで押し上げる、というデータがある。2008年。
高値のついたワインを敢えて買うという行為が、その味を経験する快の神経メカニズムを活性化し、味を実際によくする。

人は報酬を求めて商品を買う。
のどの渇きを癒すなどの生物学的な快以外にも、「人々の注目を浴びる」快とか、「良いことをした」という自己満足の快とか、
有名人と友だちになったような気がするといった社会的な報酬を含めて、広い意味での報酬があるからこそ、人は何かを選び、得ようとする。
コーヒーを飲むのは、どんな報酬と結びつくのか?人々が本当に得ようとしている報酬は顕在過程の中にはない。
スモールトリップがしたい、という報酬であったりする。その潜在的な報酬にアクセスするための広告手法を考える、というのが今後のマーケティングの姿。

市場に出回る商品が過剰であるのは、必ずしも消費者の満足にはつながらない。選択肢の過剰はむしろ消費者のフラストレーションのもと。
アマゾンのレコメンドのシステムはインターネット販売の全領域に生かされている。
お勧め商品以外には目が行きにくくなる、つまり選択肢がやんわりとしかし確実に狭められている点。
現代コマーシャルの最新戦略として2点ある。1つは上記のような選択肢の制約。もうひとつは広告と中身のボーダーレス化。
選択を行動として誘発し、誘導しているといえる。
つまり①狭める②誘発する③気づきにくくする、これらの戦略によって消費者が自らの自由意思で、企業側の望む選択をしてくれる。

消費者の自由と仕掛ける側のコントロールできる余地が、両立するゾーンが拡大されていると言える。
なぜなら、制御と自由は時間軸上で棲み分けている。
神経科学や認知科学の立場からすれば、選好や選択は、 それに先立つ神経メカニズムの機械的作動によって決定されている。
この過程は主に潜在的で自覚できない場合がほとんど。
ひとたび選択行動が起きると、自分の行動を振り返って認知的な解釈が起きる。ここに帰属過程が働く。
満足や後悔もこの結果起きる。
自由は、こういう事後の後付けの原因帰属によって決まる。
(自分の好み、選択について自分で「理由づけ」をする。その理由づけで間違いが起きることが多いが、その間違いには気付かないことも多い。)
つまりプレディクティブな過程で実質制御されていながら、ポストディクティブな過程で「自由」の感覚が広がる、ということ。

第一に、感覚刺激については、意識の海面下で大量の情報処理が行われている。
馴化や順応もおおむねこうした潜在レベルで起きる。
これが理由で私たちは、普段は刺激の過剰に気付いていない。

第二に、情動系と認知系とを分けて考える必要がある。
たとえば2時間の映画を20分で見れるDVDプレイヤーがあるとする。
こういう早送りでは、ストーリー展開を表面的に追うような認知的なことはできても、真に情動に訴えかけるような「感動」は伝わらない。

第三に、脳の中の報酬系のふるまいが関わる。
脳は報酬を与える刺激しか選ばない。ある刺激を選んでその報酬が大きければ、次にはますますその刺激を選びとろうとする。
報酬の最大化の追求が、ストレスの際限ない増大につながっている。中毒になるのは、接種による快が大きいからではなく、
むしろ苦痛が接種によって軽減されない、またはごく一時的にしか軽減されないから。

いまや、苦痛と快楽の距離が近づいて、その重なるゾーンが増大している。

■第4章:情動の政治

不確かさな下では人の判断にはバイアスが生じる。
人々の側に自分の信じたいものだけを受け入れる傾向がので、その方向の情報だけが記憶され、行動に影響する。「動機のバイアス」とい言う。
これが繰り返されると、情報は事実から離れ、雪だるま式に独り歩きをはじめる。
不確か ⇒ 情報が望まれる ⇒ 動機を得やすい情報の提供 ⇒ 拡散され、低予算での宣伝効果に
もともと動物は生存のために不確かな状況でもすばやく反応することを強いられている。
これに情動系が寄与し、逆のこうした反応図式が情動の基盤ともなる。

たとえば断崖の恐怖は生理学的に刷り込まれた恐怖のように思えるが、赤ちゃんでは断崖の奥行きの違いは知覚しているのに、はじめは怖がらない。
落ちると痛い、断崖は怖い、と情動系と結びつけるにはそのように判断できる経験が必要。
型にはまった反射的行動でありながら、学習によって変わる可逆性を持つ。情動を考える上で見落とされがちな、重要点。

国の策として、大きな意思決定をする際には、以下のような手法で可能となりやすい。
まず、あえて中身が曖昧なままでも、大義名分に大筋の合意だけを取り付ける。
そうすると「最初のコミットメントに対して後の行動の首尾一貫性を保つ」という潜在心理のルールが働く。

情動回路は、自働的で反射的でありながら、学習して変化する。経験を通して変わる可逆性を持っている。
適応的な反射的反応なので、頑健で排除しにくい。人は無意識のレベルへの潜在的な働きかけには、無抵抗である。
パニックやヒステリーなどの反射的反応は集団に感染しやすく、これも意思による制御が難しい原因となる。

記事やドキュメンタリーなどの冒頭で、特定の物語が出てくることがある。
たとえば難病対策の遅れを語るために、その患者のひとりを採りあげるなど。
特定の人物が登場するだけではなく、ある程度、起承転くらいはあるのが特徴。情動に直接訴えかけるための、定番化した効果的なやり方。

米国の大統領選挙は、こうした大衆誘導テクニックの渦。
イラクの大量破壊兵器疑惑などは完全にシロだった。米国政府ともあろうものが、なぜそんなばれる茶番を進んで広めたのか?
恐怖さえ刷り込むことができたので、後で発言や情報が訂正されても、その恐怖は完全に記憶から消えることはないので、世論として影響を持つ。
自国の危機感を煽り、自国のプライドが傷つけられている、という自尊心にアプローチすることによって、可能。

「忘れろ」と「覚えていろ」と教示された場合の結果。「忘れろ」は顕在レベルでは本当に忘れていた。
ところが潜在レベルでは「忘れろ」と教示された方が、有名度判断が平均して高かった。
つまり潜在レベルでの親近性は消せないし、むしろ高まる作用さえある。
結果、ことの真偽ではなく、後に残る潜在的な効果、情動的な刷り込みだけが重要。
写真、映像、音声などの現代メディアテクノロジーは、こういう身体的で潜在的な情動メッセージを伝えることに適している。
物語は情動の引き金を引く、すぐれた装置である。
情動的なメッセージの方がイデオロギーよりはるかに重要なのではないか?

フランス現代思想史の中では執拗に語り継がれ、最近新たに脚光を浴びている論点が、
情動と権力や労働との関係。

権力の構造が人間の在り方を規定しているということが大前提。
権力論の前提に情動論があり、さらに情動論の基底には身体論がある。
人間の本性を理解するためにも、感性、身体に根差した感性=情動の理解が必要。

スピノザは情動と権力の関係を明示的に考察した、近代における最初の思想家。
恐怖があるからこそ人々は孤立する。恐怖から(または恐怖からの回避という希望から)国家権力は形成されると考える。

エゴがあってそこからリアリティが発生する、というのが近代思想の一般的な主流な考え方。
そうであれば人は利益を最大化するために(だけ)行動する、ということ。

ただし歴史上顕著な例外が出てきた。それがファシズム。なぜかというと
身を滅ぼしてまで国家や所属集団のために戦うというのは、古典的な「利益」の概念に反しているから。
ファシズムの根幹にも情動があるのでは?

日本の政治家のやり方は、馴化を利用している。
増税などに関する案をまずは私案のかたちでリークする。 反応を見る。 少しずつアドバルーンを上げ下げして馴れを待つ。
アドバルーンは徐々に上がっている。人々は馴化して気付かない。 そして最後に本丸を攻める。というスタイル。

情報操作と情報公開は紙一重。
潜在認知のメカニズムに鑑みれば、情報公開は常に情報操作の要素を含んでいる。
メディアに完全なる中立などあり得ないとすれば、情報操作を拒否することはただちに情報の開示をも拒むことになってしまう。

潜在レベルへのアプローチに対して、顕在的な意識や意図では抗し切れない。
抗し切れないのはなぜか。そもそも情報処理の効率やスケールが全然違うから。
潜在過程の効率のよさ、容量の大きさに較べれば、意識なんてほんの小さな一片だ。
潜在過程に働きかける要因の方がはるかに高い持続性、反復性を持っている。

マスメディアと大衆誘導技術の発達が、潜在認知というパンドラの函を開けてしまった。
集合的、情動的、反射的、無自覚的という特徴を持つチャネル。
コマーシャリズムの世界では、脳内の報酬系がターゲットにされ、政治の世界では情動系、ことに恐怖の中枢が狙われている。
私たちはそれに対して無防備である。

■第5章:創造性と「暗黙知の海」

どうすれば独創的な創造ができるか、という問いが難しいのは、
独創的な発明・発見・総額がなされるまでの過程がおおむね潜在的であり、誰の目にも明確には見えないから。
名選手がコーチとなっても技を伝えられないことがある。
1つは「原理的にとっくに知っていてもいいのに、まだ理解できていない」から。
2つめは「潜在的に知っているが、顕在的では知らない(言葉にして伝えることができない)」から。

意識できないが潜在的に知っている範囲がある。それを前意識的と呼ぶ。
大発見がなされるとき、発見されるものはすでに予めこの前意識的な知の領域にあったと考えられる。
新たな知は外から直接与えられたわけではなく、といって内側に予め存在していたわけではない。
両者の間でスパークし「組織化」されたもの。
前意識の知は、意識と無意識のインターフェースであると同時に、自己の心と物理環境、あるは社会環境(他者)とのインターフェース。

独創的な発想はどの場所に存在するか?
天才という一個人の前意識と、自然環境または社会環境との間の、精妙な相互作用の中。

芸術における創造性では、夢の役割を支持する方が主流なのでは?実際ユングはそう論じている。
夢が心の潜在的領域に関わっていて、そこに隠されあるいは抑圧されていた何かが、
変装した形で意識に立ち現われるのが、夢だ。とフロイト以来言われている。

ひろく「モチベーション(動機付け)」が偉大な発見や業績には欠かせない必要条件である。
それは単に努力が重要というだけでなく、
独創的な洞察に至るには、周辺辺境を探索する必要がある。
それも外的な刺激と内的な欲求との間の「偶発的なスパーク」という形をとることが多い。
だから、探索・接触の頻度が高いほどチャンスも多く到来するから。

暗黙知は身体的な技能だけでなく知的な技能なども含まれる。
実験:1つのグループは、例題をたくさん解かせる、もう1つのグループはただ問題の直感的な見方を養ったり、問題の分類の仕方、
構造や解法に向かうための対応付けの仕方だけを徹底的に訓練。
後者の方が学習効果が大きかった。
後者が訓練したのは、古典的な知覚学習。つまりものの見方の訓練。
記憶心理学でいうと「手続き記憶」。ものごとについての命題的な知識に対して、文字通り手続きに関わる知識。

クリエイティブな人とは「全体的な状況を把握し、顕在知と暗黙知との間を自由に往還しつつ、考え続けられる人」。

全体の状況をよく分析し、しっかりはあくして から忘れることを勧める。
この忘れるという、つまり顕在知から潜在知に貯蔵することが重要である。

このような活動を繰り返すとよい↓
本能(ここでは潜在認知や情動)の赴くままに遊ぶ。ときおり過激な刺激を与える。
論理的な刺激だけでなく、音楽のような情動的な刺激、スポーツのような身体的刺激、
禁欲後のアルコールやセックスなど。
そうした報酬系に直結する刺激がいい。
その時に、自分の心の潜在的な部分からの微妙な信号、ささやくに注意を向ける。
そして再び、意識的、論理的、分析的な顕在知の営みに戻る。

このように潜在知と顕在知の往還を繰り返す。このような持続的な努力に他ならない。





Tags: