●音楽でサンテレビデビュー した

2月 25th, 2006 @ 梶原 信次


「気~が~狂~い そ う NO NO NO NO NO NONO」

BLUEHEARTSは、やや簡単に気が狂う。

オレらがバンドを始めたのは高1の時やった。
初めてやった曲が、このBLUEHEARTSの「NONONO」。

ハッキリ言って簡単やったから。

他にやってたんは、
・SEX PISTOLS
・MISFITS
・RAMONES
とかちゃうか。

パンクの人たちは、ホンマに簡単な曲を作ってくれる。
そういう意味でもあの頃の、ヤンチャな若者のバンド人口の増加に
貢献していたんやろう。

オレらは「モテたい」からバンドを始めた。
誰も口には出さなかったが、
そういう意味では気持ちが一つやった。

それから、Metallicaをやり、NOFXをやり、
HiStandard、Lifeball(知らんやろな)、Operation IVY(RANCIDの前身)
などをやった。

でも、モノ足りんかった。
コピーはモノ足りんかった。

というか、思ったほどモテなかったから、モノ足りんかった。

「コピーはモテへんのちゃうか?」
「そうやな、オレらがモテへんわけないやんけなぁ」

ということで、オレらは大学に入ると
『モテへん理由を、コピー曲に責任転嫁しオリジナル曲をやる』
ようになった。

「コピーやってる奴なんか、アホやで」
「きっしょーー、コピー?サムーー。しばくぞ。」
その当時のオレらの合言葉。

一番サムかったのは、オレらのオリジナル曲でのLIVEやった。。

でも、大阪の八尾でやったLIVEでは、
サンテレビという神戸のテレビ局で、O.A.された。

もちろん、たったの5秒。
しかも、他のバンド目当てで収録に来ていたテレビ局の人たちが、
たまたまオレらを映しただけやった。

K-1やプライドで言うと、
出場選手紹介の際に「直近の試合のKOシーン」などがよく流されるが、
その中で『KOされている(=ボコられている)選手』役で
オレらのバンドが使われていたんちゃうか?と思う。

けど、オレらのバンドは間違いなく、
「テレビ局が目当てにしていたバンド」
より盛り上がっていた。
めっさ盛り上がっていた。
なぜかというと、
客はオレらの連れ(友達)ばっかりやったから。

今では当然なことやけど、

当時は、
日本のバンドでも「メロコア」や「スカコア」のバンドなら、
歌詞は『英語』だと決まっていた。

でも、オレらの場合は違うかった。
日本人や日本語で育ったんやったら、『日本語』で歌うべきやろ?

というアホならではの単純な発想で、
「メロコア」や「スカコア」に『日本語』の歌詞を載せていた。

当時、オレら以外のバンドでは、
そんな奴らはいなかった。

間違いなく、
「モンパチ」や「FLOW」や「175R」は、
そんなオレらの曲を聴いて、パクったのだと信じている。

オレらは。

そんな感じのバンドやったけど、
「枚方BLOWDOWNの天下一演奏会」
で審査員特別賞を取りレギュラーの話になったり、
(ベーシスト渡米のため、破談)

「心斎橋MUSEHALL」
でまたレギュラーの話が来ていたりした。

MUSEHALLの話の時には、
オレはもう社会人に、
他のメンバーは大学の4年になっていた。
他の奴らは一浪しとったから。

そろそろいい歳になってきていたオレらは、
「バンドも遊びなのか、本気なのか、ハッキリしようや。」
という会話がよく飛び交っていた。

しかも、MUSEHALLの話が出たそのタイミングで、
オレは会社で「東京転勤」という話が出ていた。

オレは仕事も本気でやっていた。
悩んだ。

しかし、答えを出した。

みんなが集まった時に、オレはその答えを告げようと、
いつもよりピリッとしてみた。

「みんな、バンドについてどう思ってんねん?」
「いや、結構まじになってんぞ。」
「でもお前、東京転勤なんやろ?」

その言葉を待っていた。

お前ら、今日は朝まで飲むか?

オレは言ってやった。

「お前らも本気なんやったら、
オレは、
いつでも会社なんか辞めたる。

オレは、まぢ、お前らとバンドで食って行きたい。」

これで周りの奴らも本気になりよるやろう。

一人のメンバーが真剣な面持ちで口を開いた。

「オレ、就職活動が結構うまくいってるしな。」

「オレも、就職活動はやっときたいねん。」

「会社辞める、までせんでもええんちゃうか??」

うん。
他のメンバーはオレの言葉に、ドンびきやった。

と同時に、オレ以外の3人で妙な結束が生まれていた。

オレのバンド生命は終わった。

この後、東京でも何度か友達と遊びのバンドをやった。
その時だけのLIVEもやった。

しかし、今となると何でそのバンドを辞めたのかさえ
思い出せない程度のバンドやった。

2年くらい前、
もう一度、音楽をやりたくなった。
というか、バンドをやりたくなった。
オレらの自己満のLIVEをやりたくなった。

便利なもので、
今やパソコンで、Macで音楽が作れるような
時代になっていた。

オレは曲を、もう一度曲を作り出した。

ギターやベースを弾けないオレは、
メロディを思いついたら、
「ICレコーダー」という小さな録音道具で
録音するようになった。

それを元に、MacでMIDI化していくのだ。

もう、メロディを思いついたら、
事務所の中でも、
布団の中でも、
●●の最中でも、
ICレコーダーで録音をしていた。

便利や。

もちろん、元々曲のコンセプトはある。
それに合わせたメロディをつなげていけば、
メロディラインは簡単にできていくのだ。

オレはその日 仕事が終わった後、
その時に住んでいた幡ヶ谷の駅前の書店にいた。

もちろん、立ち読みだ。

東京Walkerで遊びに行く場所をチェックしたり、
宣伝会議の本で仕事のトレンドを見てみたり、

充実していた立ち読みだった。

その時、静かな書店内で、
なんと、
鼻歌が聞こえてきた。

かなり
きっしょい鼻歌が。

すげー奴やな。
こんな静かなところで鼻歌を歌えるなんて、
常人がしていいわざとちゃうぞ。

ここが京阪電車の京橋駅なのならば、
話は別だが。

おい、まだ終わらへんやんけ!
まぢ、聞いてるこっちが恥ずかしいわ。

誰やねん?

皆、知らんフリをしている。

東京とは、そういう街なんやろな。。

んん、でも何か聞いたことある声やなぁ。。

このメロディ、、、

「オレやんけっっっっ!!!!」

オレのリュックに入れていた
ICレコーダーの
『再生』ボタンが
押されていたのだ。

不幸すぎる。。。

もうポルシェで、タイヤを3回くらい空回りさせて、
キュルキュルキュイーンと、
それくらいダッシュで店から立ち去りたかった。

しかし、
オレはポルシェを持っていなかった。

かつ、
ココでダッシュしてしまうなんて、

「はい、
さっきから聞こえていたキモい歌は
オレの鼻歌です(-o-)/
は~い」

と自首するようなもんやんけ。

オレは迷った末、
多分、赤面になった上、

仕方なくオレの鼻歌を
さらしながら(約4曲)
ゆっくりと書店から
出て行った。

もちろん、オレがいなくなった書店は、
すっかり平静を取り戻し、
平和だったあの頃を取り戻せて
いたのだと思う。

あぁ、あの鼻歌テロは、あいつやったんやぁ。ははぁん。
みたいな。

ということで、どちらにせよ、
オレが「鼻歌のご主人」である
ということを、書店中に知らせることに
成功した。

オレはなぜか
その日以来、
メロディを収録することをしなくなった。

高1から続けていた音楽活動、
そしてLIVE活動、

最終LIVEは、
幡ヶ谷駅前の書店だった。

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