イチローはかっこいいか??

8月 22nd, 2005 @ 梶原 信次

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イチローはかっこいい、と言われる。



もちろん、顔じゃない。



「野球一筋で、ナンバーワンに登りつめた、そのスタイル」が、だ。

と、ヒゲが、だ。







イチローが幼少期から野球漬けだったことは、有名な話だ。



めっさ古い例えでも許されるなら、それこそ「巨人の星」レベルだ。



もしかすると、野球以外のことは何もできないのかもしれない。



右クリックでゴミ箱に入れることにかけては、オレの方が上なのかもしれない。

なるべく上にはなりたくない。







一つのことを、超職人級まで極める。



男なら誰でも一度は憧れるスタイルだ。

あのみんなの憧れの的、キン肉マンも超人選手権で優勝している。







それをモノ創りや表現に重ねて考えると、



「ギター一筋の男」とか「キャッチコピーだけを15年間作ってきた」

みたいなことなのだろうか。





それとも、

「デッサンの技術に関しては誰にも負けない」

「誰よりもアクションスクリプトをよく知っている」

「舞台演出にかけては、オレの右に出る奴はいない」

なのか?



オレにはやっぱり腑に落ちない。





モノ創り(=クリエイティブや表現制作)に関しては、

そういった『ジャンル』を絞ることが、一途で素晴らしいことなのか??

『ジャンル』を超越してしまう奴は、浮気者で大成しないのか??



どうも納得できないのだ。

これはよくある議論だと思う。

だが、オレはよくある結論には賛同していない。





笑いで世の中を風刺しながら、最終的には映画で世の中を表現していく。



ギターで人気を博しながら、後世にはプロデューサーとして人材を輩出する。



小説家としてデビューをし、ある転機の後は演出家として感動を生む。







オレは、『モノ創り、表現そのもの』について、こだわりたい。



その時々で、最適な表現手段はバラバラであるが、

『表現する』ということにおいては全てが同様のモノなのである、

と思っている。



その根っこの部分にこだわり、

表現全体を作り上げていきたい。



表現手段の技術を練磨していきたいわけではない。

オレは技術者ではない。

創作者でありたい。



もちろん表現手段によっては、

年輪を刻み込まなければ手に入らない、

技術の習熟=表現の深み

という図式が成り立つ表現手段もあるだろう。





オレの場合、一つの表現技術が定着してしまったら、

逆にその表現技術を捨て、新たな表現方法を模索したいタイプだ。

(かっこいい!)

予定調和だけで作品が進行されることほど、悲しいことはない。

無刺激だ。

(ドラッガーか?それともパンチドランカーか?)





それでもやはり達人クラスの表現技術が必要な場合は、

その道の匠を探し出し、納得いくまで互いに話をし、



◎オレが表現したいことを表現するための匠の技

◎匠が試したい技を出世させるためのオレの表現

という相乗効果以上の関係性を作りあげた上、

最高の表現として世に出して生きたいところである。



要するに、ただ単なる役割分担による業務達成でなく、

相互に最も価値のある組み方で組むからこそ生まれる、

新領域を楽しもうってことである。



それさえできれば、

それさえできる人間へと人間的に成熟度を上げることができれば、

色んなことができんねんけどなぁぁ。。。



30歳以降はそれを目指そう。

つまり、今はまだ無理や。ってか30歳はもうすぐそこや。





話は戻るが、

企画者、創作者、表現者にとって

『超職人級に自分の業を磨き上げる』

ということは、



取りも直さず

『その表現、企画、創作の考え方自体を芸として昇華させる』

ということである。

1つの表現技術のみに囚われることとは異なる、と考える。



その表現の媒体や手段は何になろうと、関係なく普遍性を持ったモノ。



ある技術を修得するのではなく、その技術を生かすための発想、着想、理念、観念。



そいつらを極めることが、

オレたち『企画者、創作者、表現者』にとっての一途であり、イチローなのである。



そういう意味であれば、オレは心底、イチローになりたい。





てか、やっぱりそういう意味でなくても、イチローになりたい。心底。